創業者の想い
―「富士宮やきそば」とプロシューマーという会社について
株式会社プロシューマーは、2008年、先代の渡邉英彦によって創業された、登録商標「富士宮やきそば」の管理運営会社です。何よりもまず今日の弊社があるのは、「富士宮やきそば」に関わる全ての皆様のおかげです。それはこの食品に関わる生産者の皆様、父・渡邉英彦とともにまちおこしの道程を共に歩んでくださった地域の皆様、企業や公的機関の皆様、それだけではなく、富士宮やきそばが全国的に愛される存在に成長を遂げることができたのは、ホスピタリティをもって観光客を迎え、美味しいやきそばで皆様を笑顔にしてくださった富士宮市内外の飲食店の皆様のお力添えがあってこそだと思います。また、渡邉英彦は生前、まちおこしに関する講演活動を全国で行っていましたから、そこに足を運び「ぜひわが町でも」と感じてまちおこしの輪を広げてくれた方々、そして全国各地で花開いていった、ご当地グルメでまちおこしを推進する仲間たち。こうして列挙していきますと、いかに私たちをとりまく世界が感謝の想いで回っているかということを思い知らされます。
富士宮市で戦後、独自の発展を遂げたやきそばは、その後「富士宮やきそば」と名付けられ、2004年にNPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗様(富士宮やきそば学会の母体・以下トップランナー)が商標登録されました。その後、「富士宮やきそば」の永続的な発展を願い、2014年にトップランナー様との協議の上、適切な対価をもって商標権を弊社が正式に事業承継いたしました。この承継により、弊社は「富士宮やきそば」の歴史を守り、その価値を未来へと繋ぐ大切な役割を担うこととなりました。
弊社の業務には大きく分類すると、「富士宮やきそばの名称を飲食店・企業の皆様に活用いただくこと」「富士宮やきそばアンテナショップの運営」があります。
その活動理念について、父のことばや想いも織り交ぜつつ、少しだけお話させていただきたいと思います。
私たちにとっての「手段」と「目的」―
渡邉英彦が常々語っていた事に、「手段」と「目的」の明確化があります。こう言うと堅苦しく聞こえてしまうかもしれませんが、弊社にとっての「富士宮やきそば」に当てはめてみますと、手段が「富士宮やきそば」、目的が「まちの認知度と魅力増進」ということになります。あらかじめお伝えしておきますが、美味しい富士宮やきそばを提供することはもちろんとても大切なことであり、弊社も「富士宮やきそばアンテナショップ」を経営しておりますから、一やきそば店として美味しい料理を笑顔でお客様に提供することについては、他店様と同様に、誇りをもって活動しています。どの企業にも目的があり、それを達成するための手段があります。それらは会社やお店によって「みんなちがって、みんないい」のだと思います。
プロシューマーでは、登録商標「富士宮やきそば」を活用して、富士宮のまちの認知度、好感度を上げていくことに貢献するという目的のもと、様々な企業様と連携しています。例えば、飲食店のほか、顧客企業様が開発する「富士宮やきそば」味のスナックや、お店以外の場所で入手できる冷凍やチルド、カップ麺などの形状の「富士宮やきそば」がありますが、企業の皆様から「富士宮やきそば」に関するご企画を頂戴する際、弊社からはじめにお伝えさせていただいているのが、「富士宮やきそばを通じたまちおこしの想いを、共に分ちあってくださいませんか」というお願いです。「富士宮やきそば」というご当地ブランドを、そしてこのまちを共に愛していただきたいのです。これまで多くの企業様や飲食店の皆様がこの理念に賛同してくださり、おかげ様で、「富士宮やきそば」を通じたまちおこしの輪が全国に広まっています。この場を借りて、心から感謝申し上げます。
―形を変えることを恐れずに、水のように柔軟に
父はよく「まちづくりというものに終わりはないので、その局面において効果的な手法で取り組んでいけばよい」と言っていました。明確な目的があるからこそ、その信念を曲げることなく、父はその武器であるオヤジギャグをふりかざし(?)、まちのPRのために邁進できたのだと思います。
少し脱線しますが、「やきそば」「麺」という単語はいずれもダジャレには非常に便利な言葉で、父が事業化、商品化したものの例をあげますと「ヤキソバサダー」「激香夏麺(げっこうかめん)」「麺財符(免罪符のもじり)」などがありますが、どれもゴロがよく「くだらないねえ」といわれる事間違いなしですよね。しかし、そういったネーミングが耳に残り、「富士宮って面白そうな町だな」と思ってもらえたら、しめたもの。このような自由な発想ができたのも、父の中に「まちの認知度と魅力増進」という確固とした信念があったからこそだと思うのです。もちろん、父一人ではオヤジギャグを事業化、商品化はできませんから、「一丁、一緒にまちを盛り上げてみようか」と思ってくださった多くの方々のおかげで、父もまちおこしという夢をかなえることができました。
私たち次世代の人間もまた、父のような柔軟性を大切に、様々な事業者の方たちと関わっていきたいと思っています。中には突飛な企画があっても良い。それが私たちの目的である「まちの認知度と魅力増進」に繋がっている限り、それが私たちプロシューマーの使命であると信じています。
時代が変わってもブレることなく受け継いでいきたいこと―
父は読書家で、我が家はジャンルに偏りなく様々な書籍で溢れかえっていました。特に晩年になると、古典文学への関心と共感というものが高まっていったように思います。父は常に手帖を持ち歩いて、アイデアをそこに書き連ねていましたが、その中には読書メモも数多く残されており、父が大切にしたい、こうありたいと強く共感したと思われる小説の一節などが書き記されています。手記は膨大な量がありますが、その中で私自身も心を打たれたミルトンの言葉を引用し、皆様へのご挨拶にかえさせて頂きます。
―いかなる自由にもまして、良心の命じるままに知り、語り、論ずることのできる自由をわれに与えたまえ。―ミルトン『アレオパジティカ』
生前の父を知る方は、「自由」という言葉を父の姿に重ねてくださるかもしれません。いつでも自由に、本人曰く「無責任に」ダジャレを言い放ってはそれを形に変えてきた父。しかし彼が周囲の皆様の理解を得られた理由は、身内の我々が言うのもおこがましいかもしれませんが、父の行動の指針が常に「良心」にあったからだと思います。「愛」と言い換えても良いかもしれません。
人生は不条理なもので、ときに私たちは人生の半ばで想定外の壁に阻まれては迷い、苦しみますが、そんな時はただ自分の中にある「良心」に従い「善く生きる」ことを目指すことに意味があるのではないでしょうか。
父は困っている人を放ってはおけない人間でした。それゆえ、会社の経営姿勢も一企業というよりも限りなくボランティアに近く、「富士宮やきそば」のブランドを厳しい規則で縛ることはせず、このブランドを愛してくれる人たちのことをただひたすらに信じ、ブランドを羽ばたかせるスタンスを貫いていました。困難に直面し、判断に迷うことがあれば、「良心」に耳をかたむけ行動をする。それが父の活動のゆるぎない核であったと私たちは信じています。
弊社もまた、渡邉英彦の遺した「良心」を受け継ぎ、我々を支えて下さる皆様に対する感謝の心と、変化を恐れない柔軟な姿勢で、この先も未来に向けて歩み続けたいと強く願っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これまでお付き合いのある皆様、そしてこれから出会う皆様、これからも株式会社プロシューマーをどうぞよろしくお願いいたします。
株式会社プロシューマー
代表取締役

創業者の想い

「富士宮やきそば」と
プロシューマーという会社について
株式会社プロシューマーは、2008年、先代の渡邉英彦によって創業された、登録商標「富士宮やきそば」の管理運営会社です。何よりもまず今日の弊社があるのは、「富士宮やきそば」に関わる全ての皆様のおかげです。それはこの食品に関わる生産者の皆様、父・渡邉英彦とともにまちおこしの道程を共に歩んでくださった地域の皆様、企業や公的機関の皆様、それだけではなく、富士宮やきそばが全国的に愛される存在に成長を遂げることができたのは、ホスピタリティをもって観光客を迎え、美味しいやきそばで皆様を笑顔にしてくださった富士宮市内外の飲食店の皆様のお力添えがあってこそだと思います。また、渡邉英彦は生前、まちおこしに関する講演活動を全国で行っていましたから、そこに足を運び「ぜひわが町でも」と感じてまちおこしの輪を広げてくれた方々、そして全国各地で花開いていった、ご当地グルメでまちおこしを推進する仲間たち。こうして列挙していきますと、いかに私たちをとりまく世界が感謝の想いで回っているかということを思い知らされます。
富士宮市で戦後、独自の発展を遂げたやきそばは、その後「富士宮やきそば」と名付けられ、2004年にNPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗様(富士宮やきそば学会の母体・以下トップランナー)が商標登録されました。その後、「富士宮やきそば」の永続的な発展を願い、2014年にトップランナー様との協議の上、適切な対価をもって商標権を弊社が正式に事業承継いたしました。この承継により、弊社は「富士宮やきそば」の歴史を守り、その価値を未来へと繋ぐ大切な役割を担うこととなりました。
弊社の業務には大きく分類すると、「富士宮やきそばの名称を飲食店・企業の皆様に活用いただくこと」「富士宮やきそばアンテナショップの運営」があります。
その活動理念について、父のことばや想いも織り交ぜつつ、少しだけお話させていただきたいと思います。
私たちにとっての「手段」と「目的」
渡邉英彦が常々語っていた事に、「手段」と「目的」の明確化があります。こう言うと堅苦しく聞こえてしまうかもしれませんが、弊社にとっての「富士宮やきそば」に当てはめてみますと、手段が「富士宮やきそば」、目的が「まちの認知度と魅力増進」ということになります。あらかじめお伝えしておきますが、美味しい富士宮やきそばを提供することはもちろんとても大切なことであり、弊社も「富士宮やきそばアンテナショップ」を経営しておりますから、一やきそば店として美味しい料理を笑顔でお客様に提供することについては、他店様と同様に、誇りをもって活動しています。どの企業にも目的があり、それを達成するための手段があります。それらは会社やお店によって「みんなちがって、みんないい」のだと思います。プロシューマーでは、登録商標「富士宮やきそば」を活用して、富士宮のまちの認知度、好感度を上げていくことに貢献するという目的のもと、様々な企業様と連携しています。例えば、飲食店のほか、顧客企業様が開発する「富士宮やきそば」味のスナックや、お店以外の場所で入手できる冷凍やチルド、カップ麺などの形状の「富士宮やきそば」がありますが、企業の皆様から「富士宮やきそば」に関するご企画を頂戴する際、弊社からはじめにお伝えさせていただいているのが、「富士宮やきそばを通じたまちおこしの想いを、共に分ちあってくださいませんか」というお願いです。「富士宮やきそば」というご当地ブランドを、そしてこのまちを共に愛していただきたいのです。これまで多くの企業様や飲食店の皆様がこの理念に賛同してくださり、おかげ様で、「富士宮やきそば」を通じたまちおこしの輪が全国に広まっています。この場を借りて、心から感謝申し上げます。
形を変えることを恐れずに、
水のように柔軟に
父はよく「まちづくりというものに終わりはないので、その局面において効果的な手法で取り組んでいけばよい」と言っていました。明確な目的があるからこそ、その信念を曲げることなく、父はその武器であるオヤジギャグをふりかざし(?)、まちのPRのために邁進できたのだと思います。
少し脱線しますが、「やきそば」「麺」という単語はいずれもダジャレには非常に便利な言葉で、父が事業化、商品化したものの例をあげますと「ヤキソバサダー」「激香夏麺(げっこうかめん)」「麺財符(免罪符のもじり)」などがありますが、どれもゴロがよく「くだらないねえ」といわれる事間違いなしですよね。しかし、そういったネーミングが耳に残り、「富士宮って面白そうな町だな」と思ってもらえたら、しめたもの。このような自由な発想ができたのも、父の中に「まちの認知度と魅力増進」という確固とした信念があったからこそだと思うのです。もちろん、父一人ではオヤジギャグを事業化、商品化はできませんから、「一丁、一緒にまちを盛り上げてみようか」と思ってくださった多くの方々のおかげで、父もまちおこしという夢をかなえることができました。
私たち次世代の人間もまた、父のような柔軟性を大切に、様々な事業者の方たちと関わっていきたいと思っています。中には突飛な企画があっても良い。それが私たちの目的である「まちの認知度と魅力増進」に繋がっている限り、それが私たちプロシューマーの使命であると信じています。
時代が変わってもブレることなく
受け継いでいきたいこと
父は読書家で、我が家はジャンルに偏りなく様々な書籍で溢れかえっていました。特に晩年になると、古典文学への関心と共感というものが高まっていったように思います。父は常に手帖を持ち歩いて、アイデアをそこに書き連ねていましたが、その中には読書メモも数多く残されており、父が大切にしたい、こうありたいと強く共感したと思われる小説の一節などが書き記されています。手記は膨大な量がありますが、その中で私自身も心を打たれたミルトンの言葉を引用し、皆様へのご挨拶にかえさせて頂きます。
―いかなる自由にもまして、良心の命じるままに知り、語り、論ずることのできる自由をわれに与えたまえ。―ミルトン『アレオパジティカ』
生前の父を知る方は、「自由」という言葉を父の姿に重ねてくださるかもしれません。いつでも自由に、本人曰く「無責任に」ダジャレを言い放ってはそれを形に変えてきた父。しかし彼が周囲の皆様の理解を得られた理由は、身内の我々が言うのもおこがましいかもしれませんが、父の行動の指針が常に「良心」にあったからだと思います。「愛」と言い換えても良いかもしれません。
人生は不条理なもので、ときに私たちは人生の半ばで想定外の壁に阻まれては迷い、苦しみますが、そんな時はただ自分の中にある「良心」に従い「善く生きる」ことを目指すことに意味があるのではないでしょうか。
父は困っている人を放ってはおけない人間でした。それゆえ、会社の経営姿勢も一企業というよりも限りなくボランティアに近く、「富士宮やきそば」のブランドを厳しい規則で縛ることはせず、このブランドを愛してくれる人たちのことをただひたすらに信じ、ブランドを羽ばたかせるスタンスを貫いていました。困難に直面し、判断に迷うことがあれば、「良心」に耳をかたむけ行動をする。それが父の活動のゆるぎない核であったと私たちは信じています。
弊社もまた、渡邉英彦の遺した「良心」を受け継ぎ、我々を支えて下さる皆様に対する感謝の心と、変化を恐れない柔軟な姿勢で、この先も未来に向けて歩み続けたいと強く願っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これまでお付き合いのある皆様、そしてこれから出会う皆様、これからも株式会社プロシューマーをどうぞよろしくお願いいたします。
株式会社プロシューマー
代表取締役

