富士宮やきそばのあゆみ
"Let there be YAKISOBA" はじめに「ヤキソバ在れ!」と神は言われた、そんなわけはないが私が物心ついた頃にはすでに富士宮の町じゅうにソースの香りが漂っており、その「ヤキソバ」は存在していた。
(渡辺英彦(2007)ヤ・キ・ソ・バ・イ・ブ・ル 面白くて役に立つまちづくりの聖書 静岡新聞社)
戦後間もない頃から駄菓子屋さんなどで提供
富士宮市では戦後間もない頃から食されてきた、独特のコシをもつヤキソバ。特徴的な蒸し麺に加えて、ラードを製造した後に残る「肉かす」と、主にイワシの削り粉「だし粉」を特徴とする一品ですが、駄菓子屋などで提供されていたこのヤキソバは、富士宮の市民にとってはあまりにも身近な味として浸透していたために、長い間市民のみぞ知る食文化として富士宮市内にひっそりと息づいていました。
富士宮やきそば学会立ち上げ
2000年、そこへ脚光をあて、富士宮のヤキソバをまちおこしに活用しようと立ち上がったのが、富士宮やきそば学会です。富士宮やきそば学会会長(兼株式会社プロシューマー代表取締役社長)の故渡辺英彦は「遊び心」をキーワードに、「ミッション麺ポッシブル」「三者麺談&三国同麺」「麺財符」等オヤジギャグを駆使したまちおこし活動を展開。食による地域ブランド確立および活性化戦略における日本のまちおこしの第一人者として、全国にまちおこしの活動の輪を広げていきました。
「B-1グランプリ」でゴールドグランプリを受賞

そして富士宮やきそば学会は2006年、2007年の2年連続で、地元の料理を通じて地域をPRする日本最大級のイベント「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」でゴールドグランプリを受賞。これも大きな推進力となり、観光客やマスコミから広く着目されることになった「富士宮やきそば」は、地元のみならず全国から愛される「地域のブランド」として成長を遂げていきました。
「富士宮やきそば」のブランドを守る商標管理運営会社設立

「富士宮やきそば」が広く知れ渡るのと同時に、一方で残念ながらまったく異なるヤキソバを「富士宮やきそば」と称し販売されるケース等が現れました。こういった「富士宮やきそば」のイメージの損壊は、長い目で見ると地域自体のイメージが崩れることにもつながる恐れがあります。そこで2008年、「富士宮やきそば」のブランドを守る商標管理運営会社として、渡辺英彦を代表取締役社長とする株式会社プロシューマーが設立されました。また、最もスタンダードな富士宮やきそばをご提供したいという観点から、お宮横丁内のアンテナショップの運営もまた、弊社が担当させていただくこととなりました。町おこしのプロフェッショナルである富士宮やきそば学会と連携を取りつつ、弊社ではこれからも「富士宮やきそば」によって培われた地域のブランドを守り育てていきます。

2018年、渡辺英彦はがんとの闘病の末惜しくもこの世を去りましたが、誰よりも遊び心を大切にし、言葉のもつ力を信じ、多くの仲間を巻き込み、巻き込まれながら精力的に活動した彼の想いは、今もなお我々の中に生き続けています。